三年坂の歴史と由来

三年坂(さんねんざか)は、港区愛宕一丁目、愛宕神社の西側に位置する急な坂道です。江戸時代から続く歴史ある坂で、正式には「愛宕三年坂」とも呼ばれています。
『新撰東京名所図会』によると、「三年坂は愛宕山の西麓より愛宕下へ下る急坂である」と記されています。この坂は、当時から石段が多く、人々の信仰や生活と深く結びついた道でした。
坂名の由来には諸説ありますが、最も有名なのは「この坂で転ぶと三年以内に死ぬ」という言い伝えに由来する説です。「三年坂」という名は京都の清水寺参道にも見られ、江戸の人々にとっても“慎みの坂”として知られていました。
また、江戸時代には愛宕山が江戸随一の高さを誇る自然の山(標高約26メートル)であり、坂を上ると江戸の街並みや海が一望できたといいます。その風景の美しさから、浮世絵師や文人墨客も多く訪れました。

 

江戸時代以降の三年坂

三年坂は、江戸時代には愛宕神社への参詣道として賑わい、明治以降も多くの人々に親しまれてきました。愛宕神社は「出世の石段」で知られ、特に火伏せ・商売繁盛の神として信仰を集めています。
有名な逸話として、江戸時代に曲垣平九郎(まがきへいくろう)が馬でこの石段を駆け上がり、将軍徳川家光から褒美を賜った「出世の馬坂伝説」があります。三年坂もその周辺の一部として、愛宕山の信仰と歴史を物語る重要な坂です。
戦後、周辺は再開発が進みましたが、愛宕神社とともに坂の形状は今も変わらず残されています。現在では「NHK放送博物館」や「愛宕グリーンヒルズ」などが立ち並び、古き歴史と現代都市が共存するエリアとなっています。

 

三年坂の近くにある坂

三年坂の周辺には、愛宕山を囲むようにいくつかの名坂があります。ここでは代表的な坂をいくつか紹介します。

 

《出世の石段》
愛宕神社の正面にある急勾配の石段。全86段のこの石段を馬で登ったとされる曲垣平九郎の逸話から「出世の石段」と呼ばれています。江戸時代から続く信仰の道です。

 

《愛宕坂》
愛宕神社の北側から山頂へと登る坂道で、江戸の頃には「男坂」「女坂」として親しまれていました。現在も階段状の形を残し、静かな雰囲気を感じさせます。

 

《天神坂》
愛宕山の東側に位置する坂。昔は天神社があったことに由来します。緩やかな勾配で、古くから庶民の生活道として利用されてきました。

 

《紅葉坂》
愛宕下から芝公園方面に下る坂で、かつて紅葉が美しいことで知られていました。秋には人々が散策に訪れる名所でもありました。