行人坂の歴史と由来

行人坂(ぎょうにんざか)はJR目黒駅から雅叙園へ下る急坂です。一度通ったことがある人はその傾斜に驚いたのではないでしょうか?ちなみに雅叙園は日本初の総合結婚式場として1931年に開業しました。

「江戸名所図会」をみると「行人坂は白金台町より西にある目黒へ下る坂をいう。寛永の頃、羽洲湯殿山の行者がここに大日如来堂を建てたところである。明王院の夕日が丘は紅葉が多いというが今では名前のみとなっている。」とあります。

明王院の夕日が丘の跡が現在の雅叙園の敷地だといわれています。

行人坂はかつて目黒不動尊へと続く参道として賑わいました。行人とは修行者のことをいい、昔は多くの修行僧がここに集まっていたことからこの名が付きました。「江戸名所図会」にあるように寛永の時代、行者(大海法師)が大日如来堂を建てたのが始まりになります。

江戸時代は目黒不動尊に参詣した帰り道、目黒川の太鼓橋を渡って、この行人坂を上って振り返ると、透き通った空にそびえる富士山が見事だったといわれています。

 

坂の中腹にある大円寺

大日如来堂を建てた大海法師は、行人坂の中腹に大円寺を建てました。

しかし大円寺は江戸の大火と関連して名高く、1772年に起きた「行人の大火」の火元になったお寺でした。大円寺から出た火が延焼して江戸630余りの町を焼き払ったのです。

その後、1885年に国電目黒駅(現:JR目黒駅)が開設されますが、当初は目黒川沿いに渋谷へ鉄道を敷く計画だったようです。地元の農民たちが「蒸気機関車の煤煙で農作物がダメになる。田んぼを潰される。」といった理由で強く反対したことから、計画を変更して現在の山手線が敷かれました。

JR目黒駅が目黒区ではなく品川区に属しているのはこの理由です。

 

行人坂の近くにある坂

行人坂界隈にある有名な坂をご紹介します。

《権之助坂》
権之助坂は、JR目黒駅を行人坂がある方面へ出ると目に入る整備された広い坂道です。

旧坂道は途中から北へ曲がって田道橋の北側に下るものでした。江戸時代、権之助という人物が行人坂の険しさを見かねて、私財を投じて切り開いた坂道です。

しかし幕府に許可を取らずに勝手に坂道を作ってしまったことから、権之助は死刑を命じられることとなりました。

 

《不動男坂》
目黒不動尊男坂ともいいます。目黒不動の正面47段の石階で、右手には女坂、左手にはどっこの滝があります。

当時、願掛けの信徒はその滝を浴びてはお百度を踏んで男坂を上り下がりしたようですが、次第にそのような苦行をする者はいなくなっていったといいます。

 

《三折坂》
目黒不動の西門を曲がりながら南東へ下る坂道です。

折れ曲がった形状からその名が付いたといわれ、坂上は「土山」と呼ばれた藪で、多くの竹の子がとれたそうです。

目黒不動の名物は「餅花」「目黒飴」でしたが、春はこの竹の子飯が有名でした。