相ノ坂の歴史と由来

相ノ坂(あいのさか)は現在の国道246号(玉川通り)の脇を入ったところにあり、坂下にある菅刈小学校、目黒川谷地へと下る急坂になります。

現在の神泉町交差点、旧山手通り、国道246号の近くに位置しているため、多くの人が行き交う坂道かと思いきや、相ノ坂は知る人ぞ知るマニアックな坂道です。

相ノ坂の両側は高いコンクリート塀や石段に覆われており、都心であることを忘れさせてくれるような異国情緒があります。傾斜が急なのと綺麗に湾曲されている様は一見の価値があるでしょう。

名前の由来ですが、坂上にある大坂道(玉川通り)と坂下の日向道の間(あいだ)だからという説と、人々が落ち合う坂(合いの坂、逢いの坂)だからという説があります。

1941年の目黒区の地図には、坂名がしっかりと記され、坂下に菅刈小学校があるのが確認できます。

 

菅刈小学校の歴史

坂下にある菅刈小学校は目黒区内では八雲小学校に次いで歴史が古い小学校です。1875年、当時の烏森に第2中学区第17番公立小学菅刈学校として設立されました。

その後、1898年に宿山へ移転し、1906年に現在地へ移転されました。

菅刈は古い地名で、中世の頃の荏原郡に菅刈の荘(荘園)があって、目黒もその菅刈の荘に含まれていたようです。

このあたりは戦災地域でしたが、現在では高級住宅街となっています。

 

相ノ坂の近くにある坂

相ノ坂界隈にある有名な坂をご紹介します。

《大坂》
現在の玉川通りの坂を大坂と呼んでいましたが、さらに昔はその北にある坂道で赤坂、青山、渋谷からの厚木道と、山手通りづたいに目切坂を下る大山道との岐れ道だったといいます。

現在では大きな国道246号が敷かれて多くの車が往来していますが、昔は赤坂方面から旧大坂、相ノ坂、目切坂を通っていたのでしょうか。

 

《松見坂》
駒場へと下る坂道なので「駒場坂」ともいい、坂下に「松見地蔵」があります。

その昔、松の大樹があって山賊業で暗躍した道玄がこの松に登り、道ゆく人々を物色していたという伝説があります。その松は明治維新後に伐採されてしまいました。

ちなみに駒場は元々「駒場野」と呼ばれ、将軍の遊猟地でした。狩りの際に利用する馬を止める場所を「駒場」といいます。

 

《上村坂》
渋谷と目黒の境である山手通りから、目黒川の方へ下る坂道です。

坂上に上村男爵邸があったことによるそうです。かつては道を隔てた渋谷区側でも猿楽町と鉢山町の境の坂を同様に上村坂と呼んでいました。