檜坂の歴史と由来
檜坂(ひのきざか)は赤坂9丁目に位置する東京ミッドタウンの裏側にある坂道です。別名「清水坂」ともいいます。
東京府志料には「檜坂は陸軍兵営の脇より清水谷の方へ下る坂である。長さは38間幅4間半である。」とあります。また新選東京名所図会には「赤坂檜町と赤坂氷川町の間を歩兵第一隊兵営の外郭に沿って南へ登る坂道である。」とあります。
かつて江戸時代に長州藩・松平大膳大夫(毛利家)の中屋敷があった場所であり、そこには檜の老樹が繁っていたことに由来します。大名庭園は「清水園」とよばれていました。
しかし幕末1864年、蛤御門の変を引き金に長州征伐の軍を発動させた江戸幕府は、数カ所あった江戸長州藩邸の取り壊しを行いました。これによって長州藩邸は消失してしまいました。
江戸時代以降の檜坂
江戸幕府によって取り壊されてしまった長州藩邸ですが、明治維新後は軍用地となりました。
陸軍(第1師団歩兵第1連隊)の駐屯地となり、1877年に西南戦争に従軍しました。乃木希典(のぎまれすけ)は連隊長として日露戦争の旅順攻囲戦にも従軍しました。このことから檜坂の隣にある坂は「乃木坂」とよばれています。
第2次世界大戦後はアメリカ占領軍のものとなりましたが、講和条約成立後に返還されて防衛庁が置かれました。
防衛庁は市ヶ谷に移転して、現在は東京ミッドタウンと檜町公園となっています。
檜坂の近くにある坂
檜坂界隈にある有名な坂をご紹介します。
《乃木坂》
乃木神社前を通る乃木坂は別名「なだれ坂」「行合坂」「膝折坂」「幽霊坂」ともいわれます。
名前の由来となっている陸軍大将乃木希典は、日露戦争史で最も凄惨な戦闘といわれた旅順攻防戦の司令官として任務を全うしました。
坂上には現在も残されている旧乃木邸があり、その隣にある乃木神社は、乃木大将夫妻を祀っています。
《氷川坂》
赤坂にある氷川神社から北側へ下る坂道です。
この坂は明治初期までは無名坂だったようですが、地元の人たちによって氷川坂と命名されました。江戸時代に氷川神社の門前町として赤坂氷川町といわれていたエリアであります。
《新坂》
赤坂7丁目と8丁目との間を南から北へ上る坂道で、江戸時代1699年に命名されました。その名の通り、新しく開かれた坂というのが由来です。
青山通りからカナダ大使館の西脇を南に入る道を進み、カンボジア大使館の脇を通る坂道です。坂上の方には戦前から上流人士の邸宅が多くあり、坂下は町家であったといいます。