鳥居坂の歴史と由来

鳥居坂(とりいざか)は「鳥井坂」とも書き、六本木の繁華街から麻布十番方面へとゆっくり下る長い坂道です。坂の西側には東洋英和女学院があります。

坂名の由来は2つあります。

ひとつは江戸砂子が「時は慶長の頃、この地は鳥居彦右衛門に賜しところなり。よって鳥居坂の名がある」と記されています。確かに延宝年間あたりの図面には坂上に鳥居氏の屋敷が描かれています。

もう一つは、新選東京名所図会に「鳥居坂は長坂の西にあって鳥居坂町を南に進み、宮下町の方へ下る坂道である。その昔、坂上に鳥居左京亮の屋敷があったことが由来である。一説によると麻布氷川神社の二の鳥居があったという」と書かれています。

鳥居坂はかつて「かなめ石」という石があったという言い伝えがあり、坂の道路中央に1尺あまりの石があったといいます。この石に塩を手向けて足の病気を祈れば治るという言い伝えが残っています。

また明治末期から大正時代にかけては、三条公の邸宅や韓国皇太子が育てられている邸宅などが連なっていたという記録もあります。

 

現在の鳥居坂周辺

六本木5丁目に位置する鳥居坂は、かつては華族などが住まいを構える品格高いスポットでした。

現在も六本木と思えないような閑静な高級住宅街で、様々な文化施設が点在しています。

鳥居坂の坂上には、国際文化会館や名門女子校・東洋英和女学院があります。そしてスヌーピーミュージアムやZeppブルーシアター六本木といった劇場もあり、シンガポール大使館など国際色豊かなエリアとなっています。

過去を想像しながらゆっくり散策するには非常におすすめのスポットです。

 

鳥居坂の近くにある坂

鳥居坂界隈にある有名な坂をご紹介します。

《潮見坂》
鳥居坂の途中から東側の麻布通りに下る坂道で、坂下は於多福坂(おたふくざか)の麓にあたります。

その名の通り、昔は坂上から海が望める坂道だったのでしょう。現在は閑静な住宅街となっています。

 

《於多福坂》
於多福坂(おたふくざか)は鳥居坂と長坂の中間にある坂です。東洋英和女学院を一街区隔てた東側に位置しています。

途中でいったん凹んでからまた下っている形が、顔の真ん中が低いお多福のお面のようなのでこの名が付きました。

 

《芋洗坂》
六本木交差点から程近く、細いながらも多くの人が行き交う坂道です。

坂の西脇に朝日天神社(朝日稲荷)があります。昔の記録には「芋洗坂は、毎年秋に至ると近くの村より芋を馬に付けてやってきては、稲荷社の辺りにて毎日市を行っていた」とあります。

今の六本木の喧騒とは程遠い文書の記録です。